それにしても面白い本です。
2回読み返して書き込みしても、また興味深いところに出会って考えさせられます。
翻訳に対しても、プログラミングに対してもヒントが多い本ですね。
Podcastの武田鉄矢「今朝の三枚おろし」 を聞いています。
10月の放送で、この「修行論」が紹介されてまして、早速読みました。
武田鉄矢さんの解説があったからなのか、内容がすっと頭に入ってきました。
以下、キーワードや気になった文章です。
まえがき
翻訳者の先輩も、プログラマーの先輩も、私が今知らない領域にいるのだと思っています。
それは、私が知らない尺度で物事を理解し思考しているから。このことは、業界の先輩の方々とお付き合いをしていてよく感じます。
このことを理解しないと、経験者の翻訳スピードや思考方法が「まゆつば」みたいに聞こえてしまったり、または自分には絶対できないことだと思い込んでしまいがち。
いつかその領域にジャンプできると信じて私は修行していく必要があるなと感じます。
修行がもたらす成果を、修行開始に先だってあらかじめ開示することは不可能なのです。(P9)
修行というのは、エクササイズの開始時点で採用された度量衡では計測できない種類の能力が身につく、という動学的なプロセスです。(P10)
走っているうちに「自分だけの特別なトラック」が目の前に現れてくる。(P11)
もう同一のトラックを並走している競争の相手はどこにもいない。(P11)
I 修行論-合気道私見
翻訳では、数字で成果を図りがちです。時間あたり〇ワード(文字)のスピードで翻訳する、とか。
あとは、〇円/文字(ワード)で受注してます、とか。他にも、ツールやマクロでいうと、〇倍翻訳スピードが向上しますとか。
私は、この言葉にずっと違和感を持っています。私は、マクロが面白いと思ったので作り始めたのであって、稼げるからとかそういう発想はもともとありませんでした。特許事務所で翻訳をしていたからかもしれません。
マクロの効果(2秒×1000回=30分 )は、後づけです(笑)。でも、これが私が言いたいことです。私が作っているマクロは翻訳しませんから。
例えば、私が開発しているマクロは、数値で表せる成果以外の部分にも力を入れているから、効果が数値に現れにくいと思っています。
使ってみて手になじむまでは効果を理解できないこともあると思います。
たとえば、
ショートカットキーでカーソルを移動させる気持ちよさ→翻訳自体に脳みそを集中させる
ネット検索のしやすさを向上させる→右クリックでGoogle!
米国特許明細書を一瞬でダウンロードできるので、読む前の心理的なハードルを下げる(エスパスネットのサイトでパスワードを入れてダウンロードする10秒程度の作業を想像するだけで気がめいって参考文献を読まないですよねw)→【Wordマクロ】Google PatentからPDFを取得する 。
です。
そんなことを考えながら読みました。
ついつい、自分の能力を数値によって他人と比較してしまい、自分を責めてしまったり、もしくは自己弁護のために他人を非難したりしてしまうことありませんか?
この本には何かヒントがあるかもしれません。
武道の目的は「無敵の探求」である。(P55)
最強の身体運用は、「守るべき私」という観念を廃棄したときに初めて獲得される。(P62)
未来を予測しないもの、それがとりあえず、「無敵」の探求への第一歩を踏み出すときに手がかりにすることのできる「私」の条件である。(P64)
「努力と成果の相関」スキームには深刻な欠陥がある。(P74)
時間、距離、勝率、得点、順位など、数字で示される成果に、「強化型」のアスリートは強い固着を示す。(P75)
身体の使い方を変えれば、必ず身体的な出力は変化する。必ず、変化する。
けれども、そのときに変わった値は、それまで用いていた度量衡では考量できない。(P77)
以前、多田宏先生に「どうして他人の技を批判してはいけないんですか」とお訊ねしたことがある。
先生は、「人の技を批判してもうまくならないからだ」と答えられた。そして、「批判すればうまくなるなら、俺だって一日中他人の技を批判しているよ」と破顔一笑された。(P79)
「完成形」というものを仮想的にではあれ先取りするというのは、単一の度量衡に居着くということを意味している。
これは武道的には致命的である。というのは、武道においても、身体技術の向上は、ほとんどの場合、「それまでそんな身体の使い方ができるとは思ってもいなかった使い方」を発見するというかたちをとるからである。(P80-81)
「昨日の私」がめざしていた場所とは別のところに「今日の私」はたどりついてしまったということである。(P81)
書き出したい部分が多いので、次に続けます(笑)。