バングラデシュ旅行で発見した自分自身の癖です。
私は、前回の記事「【日記】雑然とした中にある心のゆとり」に書いたとおり、ほとんど下調べをせずにバングラデシュ旅行に行って参りました。
唯一の情報源は、中部国際空港で購入した地球の歩き方だったわけですが、実はバングラデシュに向かう飛行機の中で必死に読みました。
そのときにリキシャ のことを知ったのですが、その他、毎年起こる洪水のことやそれに支えられる農業、またバングラデシュの歴史についても多少学びました。
さて、バングラデシュの国際空港についたときに、現地の人たちの視線に驚きました。
空港を降りると、空港の送迎用車両用の道路を挟んだ柵の向こうから、私たちをただひたすら見続ける人たち(大人の男性)がいたわけです。
この柵が、空港と街とを隔てています。別に何を話すわけでもなく、ただただ私たちをガン見する(じっと凝視する)人たち。
この光景は異様でした。
彼らはまるで、私から見たら、檻の中にいる動物(?)のように見えてしまったのです。
表現がうまくできません。大変不謹慎な表現に感じられるかもしれないのですが、直観としてそう感じてしまうくらいの違和感と心の距離感でした。
念のため、その場にいた方々を馬鹿にして言っているわけではありません。ただ、自分には感情表現が見えず、思考をたどれない生命体という意味で「動物」とあえて表現しました。私にとっての異星人と言ってもいいのかもしれません。
そういう人たちを目の前にしたときに、私にはその人たちが自分と同じ人間には感じられないというなんとも自分勝手な感覚を抱くことに気がつきました。
これは自分としては非常に恐ろしい発見でもあり、この感覚をツアーの仲間と共有することすらはばかられました。おそらく、私が持つ、「人間とはこういうもの」という先入観に基づくものかもしれないのですが、反射的に感じた違和感だったのです。
恐怖感にも近い違和感だったように思います。
ひょっとしたら、現地のその方々からしたら、私たちこそが、檻の向こう側の動物・異星人なのでしょうね。。。
私は、どうしてもこの異様な(と、私が感じた)状況を整理したくて、説明・解釈を求めてしまうのです。
普段は物事の道理はあまり追求しないので知らないことだらけなのですが、今回に限ってはあまりにも理解できなくて、理由がないと落ち着かなかったのです。
だからこちらも彼らをじっと見て、何を考えているんだろうと想像を巡らせてしまったわけです。
不思議ですよね。それをそのままとして受け容れられない自分がそこにいたんです。
もう一つ。
車に乗せていただき道路に出たら、今度は屋上から鉄筋が飛び出た建物(商業ビル)がいくつもありました。
これまたなんでこんな形で放置してあるのかわからなくて、ひたすら見続けてしまいました。
鉄筋が出ているだけではなく、上の方の階は壁がなくて柱と梁だけの建物なんですね。
なんだか建屋自体が弱々しく見えて、建設途中っぽいのですが、古い建物が倒壊寸前で建っているようにも見えてしまう。
そのわりに1階や2階は店舗が入っていたりするわけです。
廃屋を下の階だけ改築して使っているのかな?とか思っていたのですが、風景を見ているとあまりにもこのタイプの建物が多いことに気づきました。
現地の案内人の方に答えを求めると、答えはこうでした。
「お金がないので、最初のうちは下の階だけ作ってそこで商売をしているのです。」
なるほど。そういうことか。
この瞬間、また見える景色が変わってくるんですね。
理由がわかった瞬間に、なんだか急に腑に落ちました。
ここまで強烈に不安感に陥ったことはなかったので、自分の思考癖に気づくことができました。
日本でも好奇心が高い方々は、おそらく同じような体験を日々過ごしていて、わからないことがあるとインターネットや書籍で調べられているんでしょうね。
私はあまりそういうことをしないので、今回の体験は新鮮で、自分の新たな側面の発見につながりました。